私の死生観(1)母が癌になりました

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人間はいつか死ぬ

人間はいつか死ぬ

分かり切ったことで、「自分もいつか死ぬ」という事を決して他人事のように思っていたわけではありませんでした。

しかし、ある瞬間、「死」についての考え方がガラリと変わりました。

それは、「母の死」です。

母が癌になりました

5年前、母親は卵巣がんで亡くなりました。

82歳でした。

4年前に卵巣がんということが分かりましたが、すでに手の施しようがなく、5か月後に亡くなりました。

長らくおかしな咳をしていたそうですが、近所の医者に何回も行ったものの、ただの風邪といつも診断されていたそうです。

どうもおかしい、と大きな病院に行ったところ、胸水が溜まっていて、腫瘍マーカーの数値も高い。

ただ、癌の原発巣がどこにあるのかすぐには分からず、分かった時には手遅れの状態でした。

母は生前、

「うちの家系に癌の人はいないから、癌は大丈夫」

とよく言っていたので、かなりショックだったと思います。

胸水はかなり溜まっていて、本当ならかなり苦しいはず、と言われたそうですが、母はもともと体が丈夫ではなく、いつものしんどさが少し増えた感じだったそう。

胸水はその後何回も抜きましたが、抜いてもすぐに溜まってしまい、イタチごっこでした。

行けるうちに旅行に・・・

癌だと分かった時はまだ普通に動けていたので、行けるうちに旅行でも行こう、と言っていたのですが、母が「まだ大丈夫」と先伸ばしにしたため、2か月後位にとりあえず計画だけ立てました。

私「どこに行きたい?」

母「沖縄に行きたい」

私は1週間くらいかけて沖縄旅行を計画して母親に連絡しました。

すると、

母「沖縄はちょっと遠いかな~。お婆ちゃんが心配だし、無理かな~」

その頃祖母は施設に入っていたのですが、体調を崩すことがよくあったようです。

私「じゃあ、九州は?」

母「九州いいわね~」

私「九州縦断でもする?」

母「いいわね」

またしても1週間くらいかけて計画して母親に連絡すると

母「九州は遠いわね~。もっと近くじゃないと、お婆ちゃんに何かあった時かえってこられないわね。あと、2~3泊くらいがいいかな」

私「そうなの?じゃあ、近場の温泉にする?」

母「そうね、近い方がいいわね」

今回は調べ疲れが溜まってきていたので、ちゃちゃっと3日くらいで計画を立て連絡すると

母「お婆ちゃんの具合がどうなるか分からないけど」

私「とりあえず、予約だけしておく?」

母「じゃあ、そうしてくれる?」

宿に予約を入れ数日後、母から連絡が来た。

母「やっぱり、お婆ちゃんの具合が良くないみたいだし、私も具合がちょっと良くないから、行けるかいけないか当日連絡するのはダメかしら」

私「良い訳がないでしょう!相手も商売をしているんだから。当日どうするか連絡するなんて、ありえないよ!」

母「そんなキツイ言い方をしなくても」

かなり調べ倒した計画が何回もダメなり、無茶な要求をされ、ちょっとイラっとして言ってしまいました。

相手は病人なのだから、何を言われても優しく言えばよかった。

と、しばらくしてから反省しました。

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