私の死生観(2)癌になった母とのやりとり

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立つ鳥後を濁さず

母は癌で死ぬことを知ってから、死に支度を着々と進めていたようです。

葬儀会社を決め、どのような葬式にするか、

お寺さんに行き、戒名をどうするか、

墓じまいをどうするか、

永代供養をどうするか、

などなど。

祖母のことも、母は自分が看取らなければと思っていたので、

仏壇に手を合わせて

「お婆ちゃんを先に連れて行ってください」

と祈っていたそうです。

もちろん、そんな願いは聞き入れられず、母の方が先に逝ってしまいましたが、心残りだっただろうな、と思います。

知り合いの方から

突然身内が亡くなったりすると、どんな小さなことも自分たちで決めていかなければならなくて、本当に大変だった。

という話を聞くたびに、有難かったな、と感じています。

私には兄がいるのですが、母の死後、

母のことで2人で何かを決めなければならなかったことは一つもありませんでした。

あまり親孝行はできていません

母が緩和ケアに入院して、付き添いに行ったのは本当にわずかでした。

その理由は2つ。

1つは、私の仕事に支障が出ることを嫌がり、

そんなに来なくてよい、と母に言われたこと。

もう1つは、私が長く傍にいると、

母が「もう私はダメなんだ」とショックを受けて

生きる気力を失ってしまう、と兄に言われたこと。

なんじゃそら、

と思いましたが、母の側にいる兄がそう思うのなら、それに従った方が良いのだろうな、と。

取り合えず1か月くらいまとめて帰ろうと思っていたところ、

1週間くらいにして、結局それを3回くらいでした。

介護という介護はほとんどせずに終わってしまいました。

母の思い出

癌になる前から、母は女学生時代の話をよくしていました。

学校のトイレ掃除で、家と同じようにホースで水を撒いたらビショビショになり怒られたこと。

友達と川を渡ったら制服がずぶ濡れになり、祖母にみんなの分の制服を乾かしてもらったこと。

などなど。

しかし、癌になってからは、本当に女学生時代の話ばかりするようになりました。

母の中では、母が一番輝いていた時代なのかもしれません。

具合がかなり悪くなってくると、だんだんマイナス思考になってきて、

ブラックな事を口にするようになりました。

気晴らしになるかな、と

パパさんと新婚の時はどうだったの?楽しかった?

と聞いてみたら

もう忘れたわ

とのこと。

おいおい

忘れたんか~い?

女学生時代のことはもの凄く覚えているのに!

先に亡くなった父親も、不憫だな~と思ったのでした。

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